画家・平澤熊一(ひらさわ・くまいち/1908年新潟生まれ)は、今日まで忘れ去られていた油彩画家です。没後20余年を経て、アトリエに残されていた作品群が再評価され、近年、各地の美術館に収集されはじめています。当館でも今年3月に熊一の油彩作品5点が新たにコレクションに加わりました。これを記念して、知られざる熊一の画業にスポットを当てた展覧会を開催いたします。
<開催案内>会 期 2012年6月8日(金曜)~7月8日(日曜)
休館日 月曜日
開館時間 午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
観覧料 無料
作家略歴1908年(明治41) 6月9日、新潟県古志郡上組村大字摂田屋(現・長岡市)に、建設業を営む父・喜一郎と母・ツモの次男として生まれる。
1927年(昭和2) 工学院建築科を卒業。
1928年(昭和3) 川端画学校洋画科で学ぶ。ここでのちに画家となる柿手春三、井上長三郎と親しくなる。
1933年(昭和8) 11月、台湾に渡り3年半の絵画修行を経て、1937年7月帰国する。
1938年(昭和13) 北京へ写生旅行。9月「平澤熊一北京写生画展」を開催(北京河北交通社)。第8回独立美術協会展(東京府美術館)に《月と貝》出品。
1939年(昭和14) 11月、平山キミと結婚。第9回独立展に《樹木》出品。
1940年(昭和15) 2月、東京・阿佐ヶ谷に移る。美術文化第1回展(東京府美術館)に《夢》《岩》が入選。
1943年(昭和18) 第4回美術文化展に《故宮ノ花》《南苑》《白閑鳥》出品し、奨励賞受賞。
この頃、王子で生活。
1944年(昭和19) 5月、池袋付近に広がっていたアトリエ長屋の一つ(要町1-31)に移る。
1945年(昭和20) 空襲を避け、5月頃、長岡に疎開。
1950年(昭和25) 妻の実家のある宇都宮市一の澤に移り、自ら設計したアトリエつき自宅を構える。
1954年(昭和29) 第18回自由美術展に《夏休みと少年》出品、佳作賞を受賞。
1955年(昭和30) 自由美術協会会員となる。以後ほぼ毎年、同展へ出品する。
1989年(平成元) 12月4日逝去。享年81。
<会期中のイベント>学芸員によるギャラリートーク 日時 6月9日(土曜)、16日(土曜)、23日(土曜)
各日午後3時より会場にて
*6月9日はスペシャルトークとして
平澤三之助氏(出品作家長男)ほかを招いて行います。