練馬区立石神井公園ふるさと文化館
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研究
練馬ゆかりの文化人
ゆかりの作家のご紹介
粟津則雄(あわづのりお)
文芸評論家、フランス文学者、美術評論家 1927(昭和2)年~ 現在の愛知県西尾市生まれ。東京大学仏文科卒業。フランス文学に関する多くの評論、翻訳がある。小林秀雄とアルチュール・ランボーに影響を受け、文学、美術、音楽について幅広い評論活動を行う。主な著書に『詩人たち』、『詩の空間』(藤村記念歴程賞)、『正岡子規』(亀井勝一郎賞)、『聖性の絵画』、『精神の対位法』など。著作をまとめた『粟津則雄著作集』全7巻で、鮎川信夫賞特別賞および日本芸術院賞・恩賜賞受賞。紫綬褒章、勲三等瑞宝章受章。法政大学名誉教授。日本芸術院会員。いわき市立草野心平記念館長。練馬区石神井台在住。
石ノ森章太郎(いしのもりしょうたろう)
漫画家(萬画家)、特撮作品原作者 1938(昭和13)年~1998(平成10)年 本名は小野寺章太郎。現在の宮城県登米市生まれ。高校在学中にデビュー。卒業と同時に上京し、漫画家生活に入る。代表作に『サイボーグ009』、『佐武と市捕物控』、『HOTEL』、『マンガ日本経済入門』など。東映の特撮ヒーロー『仮面ライダー』他の原作も手掛ける。1989年に「萬画宣言」を発表し、自らを「萬画家」と称した。没後、勲四等旭日小受章受章。『石ノ森章太郎萬画大全集』は500巻におよび、「世界一多作な漫画家」としてギネスブックに認定。練馬区桜台に住んだ。
市古貞次(いちこていじ)
国文学者(中世日本文学) 1911(明治44)年~2004(平成16)年 山梨県甲府市生まれ。1934年東京帝国大学文学部国文学科卒業。1950~70年まで東京大学教養学部、文学部教授を歴任。文部省国文学研究資料館の設立に尽力し、初代館長に就任。国文資料の収集整備につとめ、『国書総目録』編纂の総指揮をとった。この功績により、日本文学研究者として初めて文化勲章を受章。全国大学国語国文学会代表理事、日本古典文学会理事長等を歴任した。紫綬褒章受章。文化功労者。日本学士院会員。義父が練馬区旭丘に住んでおり、一時期、区内関町で暮らした。
伊藤桂一(いとうけいいち)
小説家、詩人 1917(大正6)年~2016(平成28)年 現在の三重県四日市市生まれ。旧制中学在学中から詩や小説を投稿し文学を志すが、1938年、徴兵により習志野騎士隊に入隊。中国に出征し、青春時代を下級兵士として過ごした。戦場での体験を元に書いた短編『蛍の河』(1961年)で直木賞受賞。『静かなノモンハン』(1983年)で芸術選奨文部大臣賞および吉川英治文学賞を受賞した。戦記文学の他、時代小説にも健筆を揮い、詩人としても活躍。詩集に『竹の思想』がある。紫綬褒章受章。日本芸術院会員。95歳になる2012年まで練馬区桜台に住んだ。
大坂弘道(おおさかひろみち)
木工芸作家 1937(昭和12)年~ 鳥取県倉吉市生まれ。東京学芸大学卒業後、練馬区内の中学校で美術教師をしながら、唐木細工、指物などの木工技法を独学し研鑽を積む。木工芸家・本橋玉斎に師事、その後氷見晃堂、竹内碧外の指導を受ける。宮内庁から正倉院宝物の模造を委嘱され、1980年より教員を辞して調査・研究に没頭、試行錯誤を重ね、失われていた技法の再現に成功。7年がかりで≪紫檀木画箱≫を復元し、正倉院に納めた。重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)。紫綬褒章受章。1963年以降、練馬区中村、春日町、豊玉北を経て、現在は中村橋で制作を続ける。
大塚久雄(おおつかひさお)
経済史研究者 1907(明治40)年~1996(平成8)年 京都府京都市生まれ。クリスチャンの家庭で育ち、内村鑑三に師事。東京帝国大学経済学部卒業。マルクスとウェーバーの方法論から独自の社会科学方法論をたて「大塚史学」と呼ばれる世界史把握を打ち出した。著作『株式会社発生史論』『近代欧州経済史序説』で比較経済史研究を確立し、戦後の社会科学に大きな影響を与える。法政大学教授、東京大学教授、国際基督教大学教授を歴任し、数多くの歴史研究者を育てた。日本学士院会員。朝日賞受賞、文化勲章受章、文化功労者。練馬区石神井台に住んだ。
奥田元宋(おくだげんそう)
日本画家 1912(明治45)年~2003(平成15)年 現在の広島県三次市生まれ。本名は巌三。遠縁の日本画家・児玉希望に師事。一時シナリオライターを志すも、画業に専念。1936年新文展に初入選。このころから中国宋元絵画にあこがれ「元宋」と名乗る。1975年に発表された≪赤嶽紅樹≫を原点に、鮮烈な赤色を主調とした風景画は「元宋の赤」と称され、日展を代表する日本画家となった。1943年現在の練馬区桜台、1955年から練馬、1965年から亡くなるまで練馬区富士見台に住居兼画室を構えた。日本芸術院会員。文化勲章受章。
奥田小由女(おくださゆめ)
人形作家 1936(昭和11)年~ 大阪府堺市に生まれ、広島県三次市に移る。高校卒業後、人形作家を志し上京。紅実会人形研究所の林俊郎に師事。1959年に現代人形美術展、日本女流人形展に出品し受賞。光風会展、日展、日本現代工芸美術展で入選を重ねる。1972年、74年には日展特選となる。白を基調とした抽象的な造形表現で白の時代を築いた後、日本画家・奥田元宋と結婚した1976年頃から、色彩豊かな女性像を発表。数々の賞に輝き、人形作家としては初の日本芸術院会員となる。日展理事長、事務局長、現代工芸美術家協会副理事長などの要職を務めた。文化功労者。長く練馬区で活動する。
鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)
人形作家、歌人 1898(明治31)年~1982(昭和57)年 福岡市生まれ。博多人形をつくる有岡米次郎に弟子入り後、和紙の豊かな質感を生かした紙塑人形を創始。日本紙塑芸術研究所を開き、人形美術団体甲戌会を結成。1961年に重要無形文化財「紙塑人形」保持者(人間国宝)の認定を受ける。歌人としては、アララギ派の島木赤彦・土屋文明に師事。1945年に歌誌「潮汐」を創刊。歌集『故郷の灯』他で迢空賞受賞。紫綬褒章、勲三等瑞宝章受章。1952年から練馬区豊玉上に住み、工房を設けた。
桂盛仁(かつらもりひと)
彫金家 1944(昭和19)年~ 東京都文京区生まれ。室町時代末期町彫りの祖・横谷宗珉、その門の逸材柳川直政を祖とする柳川派弟子筋12代目として、父・桂盛行に師事。武蔵野美術短期大学卒業。1972年、日本伝統工芸展初入選。装身具として使用される精巧な小金具の制作を得意とし、1995年≪さくらんぼ金具≫で伝統工芸日本金工展文化庁長官賞、1998年≪打出し香爐森閑≫で伝統工芸展東京都知事賞受賞。2005年より雅号「夢山人」花押を使用する。重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)。日本工芸会正会員・参与。父の代から練馬区中村に工房を構える。
草野心平(くさのしんぺい)
詩人 1903(明治36)年~1988(昭和63)年 現在の福島県いわき市生まれ。中国・嶺南大学に留学中、夭折した兄の詩に触発されて詩作を始め、詩誌「銅羅」を創刊。帰国後、蛙をテーマにした詩集『第百階級』を発行。詩誌「歴程」の創刊に参加し、戦後主宰。「蛙の詩人」と呼ばれるが、ほかに「富士山」「天」等を繰り返し詩の主題にした。童話や評論も著し、宮沢賢治の紹介にも尽力。書、画など多彩な創作活動を行った。文化勲章受章。芸術院会員。1949年8月から3年あまり下石神井の御嶽神社社務所に仮寓。区内の小中学校の校歌を作詞している。
近藤芳美(こんどうよしみ)
歌人 1913(大正2)年~2006(平成18)年 本名は芽美。朝鮮・馬山に生まれ、父の郷里・広島で育つ。旧制高校在学中に中村憲吉を訪ね、「アララギ」に入会。以後、中村、土屋文明に師事した。1947年、評論『新しき短歌の規定』を発表。その翌年、歌集『早春歌』、『埃吹く街』で注目される。歌誌「未来」を創刊、主宰。『黒豹』で迢空賞を受賞。ほか詩歌文学館賞、現代短歌大賞など。1977年から約15年にわたり現代歌人協会理事長を務めた。文化功労者。長年「朝日歌壇」(朝日新聞)の選者を務めた。1953年から練馬区向山に住んだ。
齋藤明(さいとうあきら)
鋳金家 1920(大正9)年~2013(平成25)年 東京・西巣鴨生まれ。15歳から父・鏡明のもとで伝統の蠟型鋳造など様々な技術を習得。18歳で急逝した父の工房を継ぐ。戦後は高村豊周の鋳金工房の主任を務める。1950年に日展に初入選。1957年に日本伝統工芸展に初入選し、発表の場を移す。シルクロードを旅し自らの創造の源流を探求、簡明で端正な造形作品を生み出した。重要無形文化財「鋳金」保持者(人間国宝)認定を受ける。1957年から練馬区高松に工房を持った。
坂本太郎(さかもとたろう)
日本史学者 1901(明治34)年~1987(昭和62)年 現在の静岡県浜松市生まれ。東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学・国学院大学名誉教授、日本学士院会員。日本史学、とくに日本古代史を専門とし、戦後、混乱状態にあった日本史学の再建に尽力した。1957年からは東京大学史料編纂所所長を兼任し、『大日本史料』の刊行再開、『大日本古記録』の刊行に努める。文化財保護審議会会長、史学会理事長、日本歴史学会会長など歴任。文化勲章、従三位勲一等瑞宝章受章。「大化の改新の研究」をはじめ、業績は『坂本太郎著作集』全12巻にまとめられた。1956年から練馬区石神井町に住んだ。
篠遠喜人(しのとおよしと)
遺伝学者、科学史家 1895(明治28)年~1989(平成元)年 長野県下諏訪町生まれ。東京帝国大学理学部植物学科遺伝子学専攻。理学博士。染色体の核型分析の研究で知られ、科学史の紹介にもつとめた。東京大学教授、国際基督教大学学長、日本メンデル協会初代会長、財団法人染色体研究所理事長などを就任。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受賞、叙従四位。著書に『メンデル』『遺傳学史講』など。無教会派クリスチャンで、40年かけて翻訳した『篠遠喜人私訳新約聖書』がある。練馬区南町に住んだ。
篠弘(しのひろし)
歌人、近代短歌研究者 1933(昭和8)年~ 現代短歌の興隆に寄与。東京都新宿区生まれ。早稲田大学文学部国文科で、土岐善麿に師事。卒業後は小学館に入社し、百科事典の編集長を担いながら、歌集『濃密な都市』、評論『現代短歌史』3巻などを出し、作歌と研究の両面に従事。『近代短歌論争史』で現代短歌大賞受賞、文学博士に。現代歌人協会、日本文藝家協会の理事長を歴任。日本現代詩歌文学館長、宮中歌会始の選者も務める。紫綬褒章、旭日小綬章受章。歌誌「まひる野」代表。母の生地である練馬区田柄に在住。
瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)
小説家 1922(大正11)年~ 徳島県徳島市生まれ。旧名は晴美。東京女子大学卒業。1950年頃より作家生活に入る。『夏の終り』で女流文学賞、『花に問え』で谷崎潤一郎賞、『白道』で芸術選奨文部大臣賞、『場所』で野間文芸賞、『風景』で泉鏡花文学賞など文学賞を多数受賞。1998年に『源氏物語』の現代語訳を完訳。2002年には『瀬戸内寂聴全集』が完結した。作家活動の一方、1973年に得度受戒、天台宗僧正となり、京都嵯峨野に寂庵をむすぶ。文化勲章受章。文化功労者。1961年から2年間、現在の練馬区土支田に在住した。
祖父江孝男(そふえたかお)
文化人類学者 1926(大正15)年~2012(平成24)年 アラスカ・エスキモーを専門とする文化人類学者。現在の東京・台東区生まれ。東京大学理学部人類学科卒業。ハーバード大学大学院で学んだ後、明治大学教授を務める。国立民族学博物館の創設に参画。国立民族学博物館名誉教授。そのほか、現在の日本文化人類学会会長、放送大学教授などを務めた。一般には、文化人類学的な視点による調査結果をふまえ日本の国民性や県民性の違いを研究したベストセラー『県民性』で知られる。紫綬褒章受章。生前は練馬区石神井町に住んだ。
髙橋節郎(たかはしせつろう)
漆芸作家 1914(大正3)年~2007(平成19)年 漆の伝統的な技巧を用い、幻想世界を表現し、文化勲章を受章。芸術院会員。現在の長野県安曇野市生まれ。東京美術学校工芸科在学中より、近代的な漆芸を模索。活動初期は、屏風や衝立などに色彩豊かな色漆で草花を表現し高い評価を得るが、1950年頃より金と黒を主調に、古墳や星座をテーマとした壮大で抒情的な作風へ展開した。日展、日本現代工芸美術家協会の常務理事や顧問を務めた。1941年から練馬、小竹町、大泉学園町と、区内にアトリエを構えた。
田崎廣助(たさきひろすけ)
洋画家 1898(明治31)年~1984(昭和59)年 現在の福岡県八女市立花町生まれ。本名は廣次。1917年福岡県師範学校第二部卒業。教職につきながら、同郷の洋画家・坂本繁二郎に師事する。1926年、二科展に初入選。1932年から1935年渡仏。帰国後、一水会の創立に参加。戦後は日展へも出品し、日展理事など要職を務める。重厚な山岳風景に情感を込め、とりわけ故郷の阿蘇を好んで描き「阿蘇の田崎」と呼ばれた。勲三等瑞宝章、文化勲章受章。文化功労者。日本芸術院会員。1937年から亡くなるまで、現在の練馬区豊玉北に住居兼アトリエを構えた。
ちばてつや(ちばてつや)
漫画家 1939(昭和14)年~ 東京・築地生まれ。本名は千葉徹彌。高校在学中17歳で漫画家デビュー。主な作品に「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」「おれは鉄兵」「のたり松太郎」「あした天気になあれ」など。劇画作家・高森朝雄(=梶原一騎)と組んだ「あしたのジョー」は社会現象を巻き起こす大ヒットとなり、時代を象徴する存在となった。漫画家への登竜門「ちばてつや賞」の審査員、文星芸術大学(マンガ専攻)教授、日本漫画家協会理事長を務める。紫綬褒章、旭日小綬章受章。1962年から練馬区富士見台に在住。
手塚治虫(てづかおさむ)
マンガ家、アニメーター、アニメーション監督 1928(昭和3)年~1989(平成元)年 マンガの神様と呼ばれ、戦後の日本文化に大きな影響を与えた。本名は治。現在の大阪府豊中市生まれ。大阪大学附属医学専門部在学中に、マンガ家デビュー。生命をテーマに「ブラック・ジャック」「火の鳥」など数々の名作を生み出した。また1960年から練馬区富士見台で活動し、62年にはアニメ制作会社・虫プロダクションを設立。国産初の連続TVアニメ「鉄腕アトム」やカラーTVアニメ「ジャングル大帝」などを制作した。没後、勲三等瑞宝章受章。
徳岡神泉(とくおかしんせん)
日本画家 1896(明治29)年~1972(昭和47)年 京都市上京区神泉苑町生まれ。本名は時次郎。13歳で竹内栖鳳の画塾に入門し、絵の勉強を始める。京都市立美術工芸学校絵画科を優秀な成績で卒業、京都市立絵画専門学校で学んだ後、官展落選が続き不遇の時代を強いられる。一時富士山麓に滞留。再起をかけて帰洛してからは、京都写生派の流れに立った克明な写実表現を極め、1925年に帝展初入選。戦後は、日展を中心に発表。簡潔な構図に深い精神性をたたえた独自の静寂で幽玄な日本画を描いた。日本芸術院会員。文化勲章受章。1968年から練馬区豊玉上に画室を構えた。
中一弥(なかかずや)
挿絵画家 1911(明治44)年~2015(平成27)年 現在の大阪府門真市生まれ。本名は福寿。16歳で挿絵画家の小田富弥に入門。1929年、直木三十五の新聞連載小説「本朝野士縁起」の挿絵でデビュー。以来、池波正太郎の「鬼平犯科帳」「剣客商売」シリーズをはじめ、吉川英治・山本周五郎・藤沢周平らの時代小説に挿絵を描く。綿密な時代考証に基づく、情感に豊む作風が特徴。1962年練馬区大泉学園に、1976~2000年同氷川台に在住した。長谷川伸賞、菊池寛賞、勲四等瑞宝章を受章。
西大由(にしだいゆ)
鋳金作家 1923(大正12)年~2013(平成25)年 福岡県筑上郡生まれ。高村豊周、丸山不忘、内藤春治に師事。1947年、東京美術学校工芸科鋳金部を卒業し、練馬区石神井町に工房を構える。同年、日展に初入選。その後、受賞を重ね会員に推挙、1989年に退会するまで日展を発表の場とする。自然の形態から創意を得ながら、極限まで単純化した形態の壺を生み出した。母校の東京藝術大学で長く後進の指導に当たり、日本鋳金家協会会長などの公職を務めた。1963年、高村光太郎賞受賞。勲三等瑞宝章受章。
野見山暁治(のみやまぎょうじ)
画家 1920(大正9)年~ 現在の福岡県飯塚市生まれ。東京美術学校油画科卒業と同時に応召するが、満州で発病し帰国。戦後再出発をはかり渡仏。12年後に帰国するまでに、サロン・ドートンヌ会員、安井賞受賞の評価を得る。1968~81年まで東京藝術大学で後進の指導にあたる。文筆にもすぐれた才能をしめし、随筆『四百字のデッサン』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など著書も多い。そのほか、戦没画学生の遺作の調査に奔走し、それらを公開する「無言館」の設立につながった。芸術選奨文部大臣賞受賞。文化功労者。練馬区早宮に在住。
野村万作(のむらまんさく)
狂言師 1931(昭和6)年~ 祖父・初世野村萬斎及び父・六世野村万蔵に師事。重要無形文化財各個認定保持者(人間国宝)。「万作の会」主宰。3歳で初舞台を踏み、1950年に二世万作を襲名。国内外で狂言普及に貢献する。狂言の技術の粋が尽くされる秘曲『釣狐』に長年取り組み、その演技で芸術祭大賞を受賞。ほか、紀伊國屋演劇賞、日本芸術院賞、紫綬褒章、朝日賞、旭日小綬章など受賞多数。舞台『子午線の祀り』等、狂言師として新たな試みにも取り組む。練馬区高野台在住。練馬区名誉区民。練馬文化センター名誉館長。
馬場のぼる(ばばのぼる)
漫画家・絵本作家 1927(昭和2)年~2001(平成13)年 青森県三戸町生まれ。本名は登。1949年上京。「ポストくん」「ブウタン」などで人気を博し、手塚治虫、福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれた。その後大人を対象にした漫画にも活動を広げ、日本経済新聞紙上に四コマ漫画「バクさん」を14年間連載。1963年ごろからは、かねてから興味を持っていた絵本の世界に活動の中心を移し、代表作『11ぴきのねこ』シリーズは今日に至るロングセラーとなっている。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受章。1952年から亡くなるまでの約50年を練馬区小竹町で過ごした。
久松潜一(ひさまつせんいち)
国文学者 1894(明治27)年~1976(昭和51)年 現在の愛知県知多郡東浦町生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。契沖研究に始まり、国学、万葉集、和歌など古典文学の全体について基礎的研究を行った。東京大学名誉教授。長らく国文学界の指導的地位にあり、多くの門下を育成した。業績は『久松潜一著作集』全12巻にまとめられた。日本近代文学館設立に尽力し名誉顧問。国文学研究資料館設立に尽力。『日本文学評論史』で学士院賞受賞。勲二等瑞宝章、勲二等旭日重光章受章。叙従三位。学士院会員。文化功労者。1935年から亡くなるまでの40年間、練馬区小竹町に住んだ。
弘兼憲史(ひろかねけんし)
漫画家 1947(昭和22)年~ 山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業。松下電器産業勤務ののち、漫画家として独立。自らのサラリーマン経験を生かした「島耕作」シリーズは、現代社会に生きる人間ドラマをリアルに描いた30年以上続く大作。ほか代表作に、「人間交差点」「ハロー張りネズミ」「加治隆介の議」「黄昏流星群」など。ビジネスマン向けのエッセイも多い。小学館漫画賞、講談社漫画賞、日本漫画家協会賞大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。紫綬褒章受章。練馬区石神井に自宅兼事務所を構えることから、作中にもたびたび練馬を思わせる風景が登場する。
藤沢周平(ふじさわしゅうへい)
小説家 1927(昭和2)年~1997(平成9)年 現在の山形県鶴岡市生まれ。本名は小菅留治。業界紙記者などの職に就きながら雑誌に投稿し、『暗殺の年輪』で直木賞受賞。これを機に執筆に専念。江戸下町に生きる庶民や下級武士の哀歓を端正な文体で描いた時代小説で人気作家となった。芸術選奨文部大臣賞など受賞歴多数。紫綬褒章受章。1976年から亡くなるまでの約20年間を練馬区大泉学園町で過ごし、ここから『蝉しぐれ』『三屋清左衛門残日録』などの代表作が生まれた。練馬区立大泉図書館には「藤沢周平コーナー」が常設されている。
古川哲史(ふるかわてつし)
倫理学者 1912(明治45)年~2011(平成23)年 鹿児島県国分市生まれ。1935年、東京帝国大学文学部倫理学科卒業。国文学、日本史学、宗教思想、芸道思想などの資料をもとに日本の倫理思想史を研究。師・和辻哲郎から続く武士道を重視する東大倫理学科の学統を受け継いだ。1956年から東京大学文学部教授、亜細亜大学教授、国際武道大学名誉教授、日本弘道会理事を歴任。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。著作に『日本倫理思想の伝統』『理想的日本人』『日本的求道心』など。練馬区大泉学園町に住んだ。
前橋汀子(まえはしていこ)
ヴァイオリニスト 1943(昭和18)年~ 日本を代表する国際的ヴァイオリニスト。東京生まれ。5歳から小野アンナに学び、その後、桐朋学園子供のための音楽教室、桐朋学園高校を通じて斎藤秀雄に師事。17歳で現在のサンクトペテルブルク音楽院に留学。ジュリアード音楽院でロバート・マン、スイスでヨーゼフ・シゲティらの薫陶を受けた。カーネギーホールで演奏会デビュー。国内外で活発な演奏活動を展開し、世界的なオーケストラとの共演も数多い。日本芸術院賞、エクソンモービル音楽賞、紫綬褒章受章。練馬区東大泉在住。
牧野富太郎(まきのとみたろう)
植物学者 1862(文久2)年~1957(昭和32)年 日本の植物分類学の父。現在の高知県高岡郡佐川町生まれ。22歳で上京し、黎明期の東京大学植物学教室で植物分類学を研究。1887年『植物学雑誌』を創刊。日本人による最初の新種命名となった「ヤマトグサ」をはじめ、生涯で約1500種類以上の植物を新種として発表。収集した植物標本は約40万点を数える。1953年には東京都名誉都民第1号となる。没後、文化勲章を受章。1926年から暮らした大泉の自宅跡は、練馬区立牧野記念庭園となっている。
松井如流(まついじょりゅう)
書家、歌人 1900(明治33)年~1988(昭和63)年 「漢隷の如流」と呼ばれ、日本芸術院賞に輝く書家。歌人としては橋田東聲の主宰する歌誌「覇王樹」に参加し、1957年から同誌を主宰した。秋田県横手市生まれ。本名は郁次郎。旧姓猿田。17歳頃から「如流」の号を使う。19歳で上京。吉田苞竹に書を学ぶ。戦後は、少字数による大字の造形書という分野を切り拓き、生涯新しい時代の書を模索した。日展、毎日書道会理事、全日本書道連盟顧問などを務める。勲三等瑞宝章受章。練馬区関町に住んだ。武蔵関公園に書碑がある。
松本清張(まつもとせいちょう)
小説家 1909(明治42)年~1992(平成4)年 現在の福岡県北九州市生まれ。本名は清張(きよはる)。印刷版下工などをへて朝日新聞西部本社に入社。「三田文学」に発表した『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。1950年代半ばから推理小説を書きはじめ、『点と線』で社会派推理小説の新分野を開拓し、流行作家となった。緻密な研究に基づく創作姿勢は、歴史の謎に迫るノンフィクション作品にも活かされた。1954年から練馬区関町、57~61年まで上石神井に住み、『ゼロの焦点』『砂の器』などの傑作を生んだ。
松本零士(まつもとれいじ)
漫画家 1938(昭和13)年~ 福岡県久留米市生まれ。本名は晟(あきら)。福岡県立小倉南高校在学中に「蜜蜂の冒険」でデビュー。高校卒業後、18歳で上京。四畳半の住む貧しい青年を描いた「男おいどん」が読者の共感を呼び、講談社出版文化賞受賞。その後テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒット。「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など、壮大なSF作品を続々と生み出し、一大ブームを起こした。旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シヴァリエ等受章。25歳から練馬区大泉町に在住。練馬区名誉区民。
森澄雄(もりすみお)
俳人 1919(大正8)年~2010(平成22)年 兵庫県姫路市生まれ。本名は澄夫。長崎高等商業学校在学中から加藤楸邨に師事し、「寒雷」創刊に参加。九州帝国大学卒業後応召。南方を転戦、捕虜生活を経て復員。1948年に上京し、教員生活をしながら1954年、第一句集『雪櫟』を刊行。1970年に俳誌「杉」を創刊、主宰。句集『鯉素』で読売文学賞、『四遠』で蛇笏賞、『花間』『俳句のいのち』で日本芸術院賞恩賜賞受賞。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章、勲三等瑞宝章受章。文化功労者。日本芸術院会員。生前は練馬区大泉学園町に住んだ。
我妻榮(わがつまさかえ)
民法学者 1897(明治30)年~1973(昭和48)年 山形県米沢市生まれ。1920年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。民法研究のため欧米に留学後、1927年同校教授となった。民法学の体系を築き、戦後は法制審議会委員として農地改革、家族法改正に指導的役割をはたす。憲法問題研究会の中心として活躍。ほかに日本学術会議副会長、日本私法学会理事長、法務省特別顧問など公職を務める。著作に『民法講義』『民法研究』など。従二位勲一等旭日大綬章、文化勲章受章。日本学士院会員。練馬区南田中、石神井町に住んだ。
和辻哲郎(わつじてつろう)
哲学者、倫理学者、日本思想史家 1889(明治22)年~1960(昭和35)年 現在の兵庫県姫路市生まれ。東京帝國大學文科大學哲學科在学中は西洋哲学を研究していたが、次第に日本の古美術や古代文化への関心が高まり、1919年に発表した『古寺巡礼』は大和古寺ブームの先鞭をつけロングセラーとなる。1925年、京都帝国大学文学部倫理学講座助教授への着任を機に、仏教倫理思想史、西洋の倫理学等の研究を始める。1934年に東京帝国大学文学部教授に就任し、『倫理学』三巻と『日本倫理思想史』の体系化に取り組み、和辻倫理学を成す。日本倫理学会を創立し、初代会長を務めた。文化勲章受章。学士院会員。練馬区桜台に住んだ。
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